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2010年10月 の投稿一覧です。
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投稿者: デニィ
投稿日時: 2010-10-25 - 10:24:25

『警察官が凶悪犯に発砲すると罪に問われる』これってトリビアにもなりませんよね?

2003年09月。
奈良県橿原市内のパチンコ店駐車場で『車上荒らし(シャジョウアラシ)』を行なった犯人2名が約20台の警察車両車に追跡されながら、複数台の一般車両に衝突しつつ逃走。
奈良県大和郡山市でようやく警察車両に包囲されるも、依然逃走を謀ろうとする逃走車両に警察官が発砲した。
結果、助手席にいた男が後に死亡。運転席にいた男も重傷を負った。

で、助手席の男性が死亡したのは警察側の対応に問題があると男性の母親(72)が、県と警察官4人を相手に約1億1800万円の損害賠償を求めていたのですが奈良地裁はそれを棄却した。

しかし2010年5月。
奈良地検の一谷好文(イチタニヨシブミ)裁判官が再び提出された『付審判請求(フシンパンセイキュウ)』を受理し、警察官が裁判員制度の対象となる始めての裁判が行なわれる事となった。




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投稿者: デニィ
投稿日時: 2010-10-18 - 18:29:56

戦略的互恵関係(せんりゃくてきごけいかんけい)』という名の『戦略的土下座関係(せんりゃくてきどげざかんけい)』。

戦略的互恵関係(せんりゃくてきごけいかんけい)は、2008年05月07日に日本・福田康夫総理大臣と中国・胡錦濤主席の間で署名・宣言された共同宣言で、1972年09月29日の日中共同声明・1978年08月12日の日中平和友好条約・1998年11月26日の日中共同宣言を下地に、将来にわたり、絶えず相互に理解・信頼を深め、互恵協力を拡大し、世界各国と協調し、アジア太平洋及び世界の良き未来を共に創り上げていくことなどが大まかな内容である(詳しくは外務省のココを参照)。

これは現在の民主党政権にも継承されているが、どこが『互恵(ごけい)』なの?『誤形』?はたまた『土下座』なの?という感じである。

尖閣諸島事件や、中国の民主活動家・劉暁波(りゅうぎょうは)氏のノーベル平和賞授賞・人民元の切り上げ議論などで確実に吹いている対中国の『神風』。
今こそが、中国の覇権主義・人権問題・イカサマ経済成長に歯止めをかける絶対無二のチャンス!
だがしかし、それを生かそうとする動きは『仙谷官房長官』をトップ(実質)に据える現民主党政権にはない。




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投稿者: デニィ
投稿日時: 2010-10-16 - 16:08:25

民主党政権とは、明治維新で近代国家への道を歩みだした近代日本の歴史上、初めて誕生(2009年09月16日)した『極左単独政権』である。

民主党政権は、日本独自の思想体系ともいえる『反国家的左翼主義』に凝り固まった『民主党』が、ばら撒きマニフェストや、異常ともいえるメディアプッシュによって、2009年08月30日に行なわれた衆議院議員総選挙で絶対安定多数を上回る308議席を獲得し、同年09月16日に首班指名選挙で指名された鳩山由紀夫代表のもとに発足した。
第一期民主党政権、『実験政権』の誕生である。



発足当初、鳩山由紀夫内閣は70%超の謎の支持率を誇っていた。
しかし、鳩山由紀夫首相・小沢一郎幹事長の金銭問題、普天間基地移設問題の迷走、鳩山由紀夫首相の不規則発言、マニフェストの不履行など数々の影響で、その支持率は8ヵ月間で20%を切り、国内外で鳩山由紀夫首相の呼称が『ルーピー』で定着した。

しかし前述の支持率低下の原因はマスコミの報じたものだけで、マスコミの取り上げない民主党の推し進める多くの異常政策が、保守派の人々の運動(デモ・街宣・ポスティング等)や勢力拡大を加速させ、地域分権・外国人地方参政権・沖縄1000万人移民計画・人権擁護法案などの亡国的政策を周知、分散させたのが大きな原因だったのかもしれない。

その結果、2010年06月04日に鳩山由紀夫内閣は総辞職。
その後、民主党代表選挙で菅直人が当選し、同年06月08日に第二期民主党政権、『亡国政権』が発足する事となる。

第二期民主党政権つづく。。。




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投稿者: デニィ
投稿日時: 2010-10-16 - 15:11:50

大津事件(おおつじけん)は1891年(明治24年)05月11日に、現在の滋賀県大津市で日本を訪問中のロシア帝国の皇太子・ニコライ(ニコライ2世)が、警備にあたっていた巡査・津田三蔵に突然斬りかかられ負傷したという『国賓暗殺未遂事件』である。

ニコライは切りつけられ、人力車から飛び降り近くの路地に逃げ込んだが、これを津田三蔵は追撃した。
しかし、共に訪問していたギリシャ王国王子・ゲオルギオスと人力車夫の向畑治三郎の協力により津田三蔵は取り押さえられた。
ニコライは右側頭部に9cm近くの傷を負ったものの無事であった。

これが大津事件(おおつじけん)自体の内容なのだが、考えるべきはこの後の話である。

当時の日本は、欧米の植民地化を回避する為に(当時の)近代国家へ道を歩み始めたばかりであった。
近代国家としてこの事件(殺人未遂)を粛々と国内法に則り裁くべきと主張の司法と、大国ロシアの起こりうる報復(賠償金や領土の割譲)を恐れ、津田三蔵を大逆罪で死刑にするべきと主張する行政との間で意見は割れた。

しかし当時の最高裁判所にあたる大審院院長の児島惟謙(こじまこれかた)の働きにより、事件から16日後の5月27日に一般人に対する謀殺未遂罪(旧刑法292条)を適用し、無期徒刑(無期懲役)の判決で決着。
それにより児島惟謙(こじまこれかた)は「護法の神様」と日本の世論から高く評価され、当時の欧米列強からも日本の近代化の進展ぶりを示すものという評価を受けた。
が、本来は大津地裁で取り扱われるはずの事件を最高裁判所にあたる大審院で直接裁くなど、粛々とからは考えられないウルトラCで裁かれた事件である事も忘れてはならない。

この事件から三権分立は日本国内で多く議論される事になり、未成熟であった「司法のあり方」を成熟させる材料となったのは間違いない。
ただ、先ので再び「司法のあり方」が問われ、まさか「行政による司法の蹂躪」が行われようとは。。。
当時、悩みぬいた関係者もあの世で二度見三度見の錯乱状態に陥っているのではないだろうか。




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投稿者: デニィ
投稿日時: 2010-10-11 - 18:13:09

梁思成(リョウシセイ)とは、GHQの指導のもとに流布された都市伝説『アメリカ美術史専門家のラングドン・ウォーナーが「奈良や京都には歴史的建造物が多いから爆撃したら駄目だよ?」と連合軍に進言したから爆撃は無かった説(ラングドン・ウォーナー本人は否定)』と同じような事を連合軍に主張したとされる人物。つまり中華劣化コピー版のシンボル的人物である。

その何も根拠の無い都市伝説的逸話への注目を利用して中国側が主張。
奈良県へ梁思成(リョウシセイ)の銅像を寄贈、奈良県立文化会館への永久展示によって都市伝説の既成事実化を狙った動きがあった。

しかし先のに絡み計画は頓挫、目下迷走中である。

そもそも文化財がどうなる等の進言で京都・奈良への空爆がなかったというのは微妙で、実際には京都・奈良ともに空爆はあり、数百名の死者が出ています。
軍事的な施設が少なかったので空爆の優先順位が低かったというのが真相でしょう。




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投稿者: デニィ
投稿日時: 2010-10-06 - 16:34:31

図1.EEZ(排他的経済水域)
EEZ(排他的経済水域)
尖閣諸島(センカクショトウ)は沖縄県石垣市に属する日本固有の領土である。

1885年から1895年の10年に渡り、明治政府は尖閣諸島の領有状況を慎重に調査確認したうえで1895年1月14日に閣議決定し沖縄県に編入、国際的にも日本の領土と認められた。
以降、アホウドリの羽毛の採取や海鳥の剥製の製作、鰹節の製造などが行われ、最盛期には99戸、248人の日本人が暮らしていた。
しかし、島の基幹産業である鰹節産業が、南洋諸島からの安価な製品に押され閉鎖。
1940年に無人島となった。

大東亜戦争(第二次世界大戦)で日本が敗戦後、沖縄と共にアメリカの占領状態にあった。
しかし1972年5月15日に沖縄返還(オキナワヘンカン)の時に尖閣諸島も一緒に日本国に復帰した。
現在、開拓者の子孫が所有する無人島を日本政府が賃借するかたちで維持している。



1969年に始まった国連による海洋調査で、イラクの埋蔵量に匹敵する大量の石油埋蔵量の可能性が報告され、その後1971年にその存在が確実視されるようになると、台湾、中国が領有権を主張するようになった(※ちなみに中国の主張しているEEZは図1の赤のライン)。

また、中国は日本の設定するEEZ(排他的経済水域)に添う(跨ぐ)形で平湖ガス田・断橋ガス田・天外天ガス田・春暁ガス田などの油田を既に開発しており(※図1の赤の点)両国間で問題となっている。
それに加え、2010年9月7日午前に発生した尖閣諸島中国漁船体当たり事件で逮捕拘留されていた中国人漁船船長が同月24日夜に突然釈放され、中国の主張するEEZ(排他的経済水域)の言われなき根拠を後押しする形になりかねない愚策を日本政府は犯した。
国家の自存自衛の意識が希薄な極左政権を狙い撃ちした中国の巧みな戦略には感服する他無い。