はい、65年前の今この瞬間、08時15分に日本国の広島市に史上初の人類を標的にした原子爆弾が投下されました。

原子爆弾は、使用によって数百年以上に渡って犠牲者(子孫に及ぶ)に被害を及ぼすといわれている最悪の兵器です。
私自身が被爆三世という立場もあって、このアメリカによる蛮行は絶対に許せるものではありません。
実際に祖父は癌まみれで死に、母も乳癌・膵癌・謎の目の奇病と因果関係は不明ですが苦しんでいます。
また、被爆三世である私や、その子供達はどうなんだろう?不安でたまりません。
現在も実施中の人体実験といっても過言ではありません。

さて、この被爆被害ですが『日本は唯一の被爆国』といわれています。
はたしてそうなのでしょうか?

でもしかし現実には違います。
「核実験での被爆被害」「チェルノブイリ」いろいろありますが、悪意をもって核兵器を使用されたと思われる地域があります。
それはです。



東トルキスタンは、2008年4月26日に長野県で行なわれた北京オリンピック聖火リレーで広く認知された現在進行形の民族虐殺が行なわれているチベット自治区と同様に、独立運動を続けている中国国内の地域、いわゆる自治区です。

毎年8月6日は『日本は唯一の被爆国』『人類に対して今日はじめての・・・』などのメッセージがマスメディアや、各平和団体から発信されています。
アメリカやロシアなどの目立ったところを批判するのはいいでしょう。
でもしかし、これらの国家のをこの時期に声高に批判するマスメディアや平和団体は、前述の東トルキスタンや、そこに対して核兵器を使用した中国。また、瀬戸際外交の道具として核兵器を保持している北朝鮮にたいして沈黙しているのは何故なんでしょう?非常に謎です。

それを受け、本当の平和式典をということで真広島長崎平和集会が行なわれました。
その様子はネット上に掲載されている動画を自ら調べていただいていろいろ感じていただくとして、核兵器とはなんなのか?核兵器を保持する事でどうなるのか?など考える機会としていただければ幸いです。

私は核兵器に対して嫌悪感を抱いています。
ただ核による抑止力。その力は認めざるを得ません。
でもそれは決して保有することによって発揮されるものではないのです。
国内で核兵器保有の議論するだけでも『日本は核を持っているかもしれない』そう思わせることが可能なのです。
核兵器に対するアレルギー。現民主党内閣の岡田外務大臣は、日米間での核密約(国内持込など)を開示するなどの活動を行ないました。これはなんだったのでしょうか?

『アメリカが日本の港に核兵器を積んだままの状態で寄港しているかもしれない!』

これだけでアメリカの核の傘を越えた核抑止力となりませんか?
岡田外務大臣のとった行動は、手の内をあかす愚作以外のなにものでもありません。

「核を持っている愚か者」より、
「核を持っているかもしれない賢人」の方がいい、これに尽きます。

でもいつか、全ての核が廃絶される時がくればいいですね。